bakeryBAGUSの365日

つくる人、になりたくて。拙いあゆみの真っ只中、ちいさな思いの欠片です。

今のための今

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昔、必ーっ死に勉強した時期があって


でも結果が出るかわからないって不安に陥ったときに、

「今、勉強したいと思わなかったら、やめよう」

って決めた。

 

 

というのも

自分と真反対の友人がいて、

彼は勉強そっちのけで

いきいきのびのびと人生を学ぶ日々を送っていた。

 


例えば

わたしが苦しんだ末に何の結果も出せなかったとして、

彼は楽しみながら自分の道を見つけて行ったとしたら、

 


数年後のわたしはきっと

彼を羨んだり、選択を後悔したり

そんな自分を嫌いになったりするだろうと思った。

 


だったら、

今、自分がしたくてやってるのでないのなら、

なにかを我慢して苦しんでいるだけなら、

そうやって過ごす時間に意味はないな〜

と思えてきて。

 

 

 

つまり。

"いつかの何か"のために今を過ごすと、

その"いつかの何か"が起こらなかったときに

過去の自分を否定してしまいそうだけれど、

取り組んでいることがその時の自分のしたいことである限り

後悔のしようがない、と思った。

 

 

 

 

 


結局、当時のわたしは勉強を続けることを選択したのだけれど

可笑しなことに

あんなに必死の思いで得たはずの資格は持ち腐れたまま、

まだ陽の目を見ていない。

 


それでもイチミリも後悔していないのは、

「だってそのときは死ぬ気で勉強してみたかったんだもん、しょうがない」

って思えるから。(かな?)

 

 

 

 

今のために今をいきる。

今なお、わたしの小さな教訓。

 

 


追伸;

その友人は今、新たな目標を見つけて必死に勉強していると風の噂で耳にした。

でもきっと、彼は彼で、当時の自分の生き方を後悔してはいない気がする。

 

 

(写真;料理といえるのかわからないけれど、そのまんま焼いただけも好き。懐かしの青梗菜。)